近代化を推進する影の役割担う
筆者は、今年の1月と2月に、2度にわたって都市と農業の未来について寄稿を行ったように、都市と農業の融合を言い始めて久しいが、日本の農業の問題の根底には、農業政策が深く関わっていることを改めて再確認しておく必要があると思う。なぜならば、農業こそが国家、国土の形成の過程において大きな「要」の役割を担ってきたにもかかわらず、日本の近代化において必須とされた工業化社会を推進するために影の役割を担わざるを得ない状況にあったからである。
この問題の根底にある国の基本的政策、すなわち、工業化と米の食料自給という二つの目標は、本来的には極めて対比的な課題であった。その両立が求められるあまり、矛盾が先送りのままに進められてきた過程に、さまざまな法整備と現実との乖離があり、それがそのままにされてきたこと、そしてそこにこそ今日の農業政策の問題があることを看過して語ることはできないからである。
例えば、近年の事例のみを挙げても、時代の変化に伴い、農業について語られてきていることは数多い。簡単に列挙すれば以下の通りだ。農業の第六次産業化や生産地と直結した販売方法の簡素化、農地と加工工場の一体化にその流通の簡素化などだ。あるいは農業生産の安定化に向けた農地の集約化や農業の担い手の多様化、気候変動に対する栽培技術の平準化、さらには農業の工業化、農地譲渡の制限緩和、法人化への動向などが挙げられよう。
こうした例はともかく、元来、日本という国は農耕文化、とりわけ水田による米の生産によって国家の成立要件が定められてきたと言ってもよい。日本の美しい田園風景、またそこに寄り添う里山などの景観は世界に誇れる日本の特徴であり、また財産である。しかしながら、そうした現在にまで至る米作へのこだわりについては、その資源的重要性ばかりでなく、日本の文化、そして社会のあり様を規定してきた礎の上にあることを考えなければならない。日本社会の封建制度の基礎となる貢納制度によって、国家権力を強固にするためにも、国の財政の枠組みが農産物(米)の出来高で決められる仕組みが出来上がっていたからである。江戸時代の士農工商に見られる「四民」の一角を占めていた「農」は、まさに武家社会を支えるもっとも基本的構造を担っていた。
時代変化が保護政策の矛盾露呈
そうした背景から、戦後GHQの占領下で行われた農地改革が地主と小作人という上下関係を破壊し小作農を軒並み「自作農」へと変えた歴史がある。形式的には民主的力学形成を図るというものではありながら、中身は、国家権力を政治的背景に、農業協同組合(農協)という保護政策に向けたかじ取りが始まったのである。しかしながら、保護政策は一方で生産性を阻害する要因ともなり、さまざまな矛盾が露呈し始めたのである。その結果、日本のコメの生産は、食糧管理制度の下、自主流通制度と生産調整という矛盾を抱え込んでしまった。減反政策という悪しき政策を蔓延させてきたのである。
こうした流れを生み出してきたのは、日本の農業政策を担ってきたといえる、三つの法律である。1つは食糧管理法(米不足を前提として、生産や流通、消費について政府が管理を行うもので、戦時中に制定されている)、次に農地法(農家以外の土地取得を認めず、新規参入を原則禁止する)、そして農業基本法(農家の所得を都市勤労者の所得水準にまで引き上げる)である。しかしながら、これらの法律は、時代の変化や食生活の多様化などにより需給バランスが大きく変化し、米の過剰生産に繋がるなど、機能しなくなってきていた。
農業政策が日本の新しい姿生む
これを受け、農地法の枠組みを拡大して、農地の利用を促す、農業経営基盤強化促進法が制定され、さらには、集積型農地利用を促す政策を促進する形で、農業の効率化と経営の安定化を目指す合理的農業政策を掲げ始めたのである。その間、農業従事者の高齢化、戸別所得補償制度の導入などによって、耕作放棄地は増加し続けた。そうした中で、小規模農家を排除しないという趣旨のもとで、大規模農業の拡大化と法人化は避けて通れない道筋となったのである。
その一つが、「農地集積バンク」すなわち、農地中間管理機構である。農業法人や規模の拡大を目指す農業事業者は農地の所有者から賃借契約の元に事業の拡大化と生産性の独自性が加速されることになったのであるが、その前途は生易しくはない。TPPの推進などにより、もはや保護される要因は極めて小さく、日本の農業政策は、世界を相手にする農業へとかじを取らねばならなくなったのである。
そのためには明確なビジョンの策定とさらなる規制緩和が不可欠なのは言うまでもない。その一つが筆者の掲げる都市型農業である。都市と農地、工業と農業といった区分や役割の線引きを解消した誰でもが参画できる農業であり、農業と、IT(IoT)をはじめとするすべての産業との融合を図り、都市から孤立させない農業のあり方である。農業の都市化とは、さまざまな分野や領域がきわめて親しく融合し、新しい都市の形を生み出すということである。
例えば、世界に向けて開かれた農業を目指すことだ。農産物の輸出に大きく舵を取り、国内に向けた農産物だけではなく、日本の技術と農産物のクオリティーを示す必要がある。そのためには、過去の農業を取り巻く環境を大きく変えることしかない。その一つが都市型農業である。大きく言えば、これからの日本の新しい姿を生み出すには都市のあり方を変え、産業構造やライフスタイルをも変革するポテンシャルを生み出すことが大切なのである。その要にあるのが農業とその政策にあるのだ。
いまや、既存の企業が挫折し、行き詰まりを見せてきている。それゆえ、既存の近代主義が生み出し、成長させてきた都市構造を変えることで、産業の新たな起業を図るしかない。そこにこそ、筆者の考えるコンパクトシティの基礎となる、健康な都市のあり方がある。さらに、新たな都市の形成に農業が関わることの意味について改めて考えなくてはならない。農業が暮らしに密着して存在する都市、人々が健康に暮らし、一つの生きがいや喜びとして生涯の間働くことができるような都市のあり方こそが、これからの時代に必要なのではないのか。そのためには、いま何をすることなのかを考えねばならない。