新型コロナウイルス禍が世界を席巻している。パンデミック、大恐慌、緊急事態宣言、ロックダウンなど普段耳にしない言葉が世界中で次々に発せられている。観光客はおろか、通行人すらいない都市の姿に、地球の消滅を描いたSF映画のラストシーンを見ているような感覚にもさせられる。死に瀕する都市の姿である。
20世紀が経験した二つの世界大戦の結果、都市は無残に荒廃したが、そうした姿以外にこれほどの衝撃的な映像は見たことがない。世界大戦を経験したとはいえ、近代の都市は、工業化と共に成長を謳歌した時代の申し子であったように思う。多くの人々が都市に集い、その魅力を作り出し、自らも享受して、希望・未来を生み出してきたのである。
そしていまやわれわれの住む現代社会は、デジタル空間という新たな存在を得て、20世紀の社会構造とは次元の異なる新たな環境を手にした。デジタル・グローバル社会は、地球から距離という概念を一掃してしまった。情報は無論、ヒトも、モノも、カネも一瞬の内に地球の隅々にまで移動ができる。さらにウイルスまでもが瞬く間に世界を飲み込んでしまうというのが、われわれがいま生きている「21世紀という時代」である。
このような時代を迎え、都市は、20世紀のそれに比べて大きく変容しつつあるのはここで改めて述べるまでもないだろう。グローバル社会という大きな現実が、日常の現実の中に生きるわれわれ自身の存在に対して、課題を突き付けたのである。
苦闘の末に生み出した新たな希望
ここで改めて20世紀前半の建築家たちの活動を振り返り、現状の再確認を行い、課題をあぶり出すことも必要だろう。1928年、ル・コルビュジエやグロピウスなどモダニズムの建築家たちによって「近代建築国際会議」(CIAM)が開催された。その5年後、33年にアテネで開催された第4回の会合において採択されたのが、95条からなる、都市計画および建築に関する理念「アテネ憲章」である。その主旨は近代都市のあるべき姿を示すことであった。ごく大雑把に言えば、都市を大きく4つの機能、すなわち「住むところ、働くところ、レクリエーションの場所、そして交通」に分類し、それらを適切かつ明快にゾーニングすることで都市そのものを計画的に作り上げようとしたものである。このアテネ憲章は、それに先駆けてコルビュジエが発表していた「ヴォアザン計画」(25年)や「輝く都市」(30年)を下敷きにしたと言われている。
コルビュジエの名前からもわかるとおり、アテネ憲章は絵に描いたような近代思想を体現したものである。高層建築を建て、それによって生まれた空地を緑豊かなオープン・スペースとして整備し、さらに交通インフラは来るべき車社会を見据えて歩車分離を行い、幾何学的に整然と都市を計画することを目指したのである。
こうした提案は、当時、急激な人口増加とそれに伴う環境の劣化による影響を受けていた都市を救い出すための、まさしく輝ける未来を約束する理想の都市像だったと言えよう。しかしながら、25年に開催されたパリの万国博覧会に出品展示された「ヴォアザン計画」の模型写真を見る限り、そこで人間が日常生活を営む姿を想像することは到底できない。いわば「輝く都市」は人間のない都市の姿であったように思う。
無論、輝く都市が実際には絵空事でしかなかったとしても、その努力をも論難するわけにはいくまい。急速な都市化によって引き起こされた無秩序や混乱、そして環境の悪化という課題を突き付けられた当時の建築家たちが、自らの職能に対する使命を深く自覚しながら苦闘の末に生み出した、都市環境の新たな希望であったことは言うまでもないからだ。
この職能に対する使命の認識こそがいま改めて問われているのではないか。
グローバル社会とは、ヒト、モノ、カネ、そして情報が国境を越え、世界を隈なく行き来する社会のことである。ビジネスであれ観光であれ、物流であれ金融であれ、常に何らかの移動があって、それが社会を動かすコミュニケーションとして機能していた。その状況・姿を一変させたのが、新型コロナウイルスの世界的伝播である。世界のヒトやモノの移動(トランスポーテーション)が一気にストップし、世界の名だたる都市で、人の姿が見えない超現実主義的な光景が映し出されることになった。世界が一気にこのように一変する姿を見せたのは、第二次世界大戦でも起こらなかった、多分人類始まって以来の出来事ではないだろうか。
改めて、グローバル社会とは何かを考える必要があるように思える。
現在のようなグローバル社会の成立に与って力があったのは、20世紀後半から始まったデジタル社会という現実である。いまや21世紀に入って、その流れは加速し続けている。例えば無線通信技術で言えば、スマートフォンが定着している現在は4G、すなわち第4世代(G=generation)の時代である。数年前のいわゆるガラケーの時代から見れば、ICT(情報通信技術)の進化には目を見張るものがあるが、さらに世界の潮流はすでに5Gへと移りつつあり、もはや4Gすらも時代遅れになるような勢いである。日本でももちろん早期から開発が進められていたものの、ようやく政府が5G対応に向け、税制優遇などの措置を取るようになったこともあり、通信環境の5Gレベルへの切り替えが始動した。
4Gは生活を変え、5Gは社会を変える
さて、こうした通信技術などについては国際標準が必要になる。言うまでもないことだが、国際標準がなければ、互換性のない独自技術が乱立してしまい、これほどのデジタル空間の広がりはなかっただろうし、グローバル社会は成立していなかったであろう。もちろん、それ以外の分野でも、国際標準化機構(ISO)などが制定する国際標準に則った製品やサービスは枚挙にいとまがない。しかしながら、通信技術の分野においては、いまや世界各国は、国際標準の覇権争いをしていると言ってもよいだろう。例えば、米国には暗号化技術で世界をリードしていることで知られる国立標準技術研究所(NIST)があり、国際標準の制定にも大きく影響を与える存在となっている。一方の中国はファーウェイを中心に、中国独自の5G仕様・基準をもって、米国の技術のデファクトスタンダード化の阻止を図ろうとしている。EU(欧州連合)では中国型標準の受け入れが進んでいる国もあるが、昨年ファーウェイの排除を打ち出したように、それを阻止しようとしているのが米国のしたたかな動きでもある。米中の争いは、つまるところデジタル世界の国際標準でどちらが覇権を取るかにあるということになるだろう。
こうしたデジタル社会の世界の熾烈な覇権争いの中で起きたのが、世界を死の淵に追いやろうとしている新型コロナウイルス感染症の拡大である。日本では収束に向かいつつあるようだが、世界的には感染者はまだ増加している状況である。そして、世界の主要都市が封鎖されるという事態を迎え、世界の動きが止まり、ヒト、モノの移動がなくなったのである。グローバル社会の成立を支える、国境を超える動きが制限されることになれば、グローバル社会は機能不全を起こしてしまう。
それでもわれわれはデジタル技術により、現実空間をバーチャルなデジタル空間にまで拡張して生きる道を見出している。ゆえに、グローバル社会はかつてない強みを持つとも言えよう。中国で耳にした「4Gは生活を変え、5Gは社会を変える」というメッセージは強烈な印象をもって筆者の脳裡に刻まれている。すなわちグローバル社会のあり様がさらに変わろうというのが現在なのだ。
日本は巨大なクルーズ船
翻って日本は、こうしたグローバル社会に生きることの意味をどこまで理解し、国家的戦略を持とうとしているだろうか。日本独自の標準化規格もあるが、世界に通用するものが多いかといえばそうでもないだろう。例えば建築の環境評価についてはどうだろうか。日本では国土交通省主導で開発されたCASBEE(建築環境総合性能評価システム)が主流である。一方、中国にも政府が定めたGB/T50378(緑色建築評価標準)があるが、国際的プロジェクトの隆盛に伴って、米国発のLEEDによる認証を受けるプロジェクトが増加し、現在では世界3位の導入率となっている。さらに、同じく米国のWELL認証の導入も積極的に進めており、こちらも世界2位の認証件数を誇っている。5G、そして6Gへ向けての標準化の覇権争いをはじめ、米国と熾烈な競争を繰り広げている中国だが、環境性能評価については柔軟な姿勢を示している。日本でもLEEDの導入は始まってはいるものの件数は少なく、やはりCASBEEが主流である。評価システムとしての性能を否定するわけではないが、LEEDはグローバルに通用するという点においてCASBEEに比べて優位性がある。海外からの投資を呼び込みたい中国にとって、対立する国のものであっても有効なツールであれば導入することをためらわないのだろう。建築基準法などについても世界の潮流との乖離が言われている。とりわけ都市景観に関する問題である。またISOによるマネジメントシステムの認証も、現在その勢いは失われつつあるのが現状だ。国外で仕事をしていると、こうした日本の常識(スタンダード)が世界に通用していないという現実に常に直面する。かつて携帯電話で言われた日本のガラパゴス化は建築界でもいまだ顕著であるわけだが、この現実をわれわれはどこまで理解し、切実なものと感じているのだろうか。
日本は小さな島国である。それゆえ、新型コロナのような疫病が国内に蔓延したら逃げ場はない。かつて日本を不沈空母に譬えた政治家があったが、それにならえば日本は巨大なクルーズ船のようなものである。われわれはグローバル社会に生きることと、グローバル・スタンダードとは何かを今一度見つめ直す必要がある。