Chairman. HOSODA MESSAGE

弊社代表取締役会長・細田雅春の取材記事や発表した文章などを随時掲載しております。

代表取締役社長

ウィズコロナの課題―グローバル社会の移動の停滞と秩序の回復―
「まだら模様の現実」にどう対応していくか

新型コロナウイルスが驚くほどの勢いで世界に広がった結果、未曾有の変革が起こりそうな情勢である。専門家たちも口をそろえて、ウイルス根絶の難しさを語り始めている。今後、「ウィズコロナ」という時代を我々は生きてゆくのかが、まさに問われることになるのだろう。

すでに日本を始めとする先進国では高齢化が深刻な事態になりつつある状態の中、コロナ・パンデミックによって、世界の動きが停滞し始めるとどうなるのだろうか。

筆者は、グローバル社会は今後も維持され、デジタル空間の進化と共に、ますます発展していくと言い続けてきたし、そう信じてもきた。しかし、そうした楽観論に冷や水を浴びせる見解を示す専門家も多く、驚いているのが実感である。無論、いずれも予測であるだけにどちらが真実なのかはまだわからないが、経済学者や医療従事者たちの見解もそれぞれの視点からの予測の1つということで、根拠があるのだろう。

コロナ禍の中、グローバル社会が停滞し、ヒト、モノ、カネの動きが滞るという事態が続くという「事態の必然」である。例えば現在のモノづくりの生産体制は、グローバル・サプライ・チェーン・システムによって支えられている。

すなわち、いまやモノの生産を1国で完結することは容易ではなくなっているということだ。世界各国から部品を調達・アッセンブルしなければ、たとえ小さな製品でも完成品をつくり上げることは難しい。ではグローバル・サプライ・チェーン・システムの動きが鈍くなればどうなるだろうか。モノの生産・供給が滞り、モノ不足に陥ることになるだろう。そして、景気の後退を受けて、日本を始め世界各国の中央銀行が金融緩和を大規模に実行すれば市場にはカネがダブつくことになる。

いわゆるインフレの発生である。もちろん、コロナ禍がどれだけ長引いたとしても、現在のグローバル・サプライ・チェーン・システムが崩壊することはないはずだ。もちろん、コロナ以前の水準に戻ることも容易ではないだろうが、デジタル空間の進化とともに、グローバル社会の拡大・深化を止めることは出来ないと考えている。

人類の知恵はこの停滞を放置しない

しかし、デジタル社会ではすべての移動が停滞すれば、デフレ状態が加速されるという予測もある。すなわち、消費が停滞し、キャッシュが動かないことが引き金となり、資金の行きどころが失われて、国内の過剰なモノのバランスが崩れ、デフレ状態を引き起こすというのである。銀行の機能すら停滞しかねない。

どちらの予測が現実になるのか、誰にも確実なことはわからないと思われるが、世界的な投資家であるジョージ・ソロス氏は「わたしたちはパンデミックが始まった頃の状態に戻ることはない。それは明らかだ」と言い切っている。そしていまのような中央銀行の資金供給の役割がなくなり、世界大恐慌が起こる可能性が高いという予測である。

ワクチンの開発が期待されているが、果たして開発ができるのか、またどこまで効果があるのかなど不透明な部分も多々あり、パンデミックを終結させるまでには容易ならざる道のりが予測されている。だからこれからの世界にとって「ウィズコロナ」なのである。

このままヒト、モノ、カネの動きが停滞した状態が続くことになれば、グローバル社会の崩壊さえあり得ない話ではなくなるだろう。人類が築き上げてきたグローバル社会という仕組みの価値の大きさとその巨大な可能性を失うことになってしまうのだろうか。

人類の知恵は、この停滞を放置することはないはずだ。人類の進化の歴史を見るまでもないことだ。文明の進化はとどまることはないからである。未知の探求、将来の希求こそが人類に与えられた使命でもあるからである。

ただし、このまま社会の停滞が続いたとしても、これからの社会・経済がインフレ型社会、あるいはデフレ型社会のどちらかに極端に振れることは、現代社会の複雑な仕組みの中ではそう単純に起こることはないだろう。むしろ、産業の内容や違いによって、その盛衰の形はさまざまであると考えるのが自然であろう。

政府がどこまで適切な判断を下せるか

米国の経済学者ミルトン・フリードマンが主張した競争原理の導入による「グローバリズム」が次第にその評価を失い、その結果、資本主義の影ともいうべきさまざまな主要国の覇権争い、経済格差の問題が浮上してきた。そうしたことが、今日の深刻な保護主義の台頭にも関係していることにも、注目する必要がある。産業経済の多様な内容とそれぞれの社会への受け入れる状況はさまざまであるということであろう。

これからの社会の構造が「ウィズコロナ」によって、どれほど変化するだろうか。世界の政治がさまざまな政策を進めるとしても、停滞のまだら模様は容易に消えることはないだろう。問題は、一律に判断できない状況に対して政府がどこまで適切な判断を下し、対応できるかである。しかも「ウィズコロナ」の時代においては、疫学的な対応も、刻々と変化・変異し続けるウイルスの動向を見据えたものでなくてはならない。

建築界も、そうした「まだら模様の現実」にどのように対応していくのか。ウィズコロナによって引き起こされる社会経済の複雑さにどこまで対応できるのか。1つの企業レベルの努力では叶わない事態が身近に迫り始めている。グローバル社会に生きざるを得ない現実と、国内での秩序を見失った盲目的な競争が再び引き起こされることを危惧している。

日刊建設通信新聞
2020年8月19日掲載