Chairman. HOSODA MESSAGE

弊社代表取締役会長・細田雅春の取材記事や発表した文章などを随時掲載しております。

代表取締役社長

大震災が鳴らす警鐘
復興から考えるインフラ整備の意味

3・11の東日本大震災は、東北沿岸部の街を津波によって消滅させた。廃墟の風景である。あたかも戦後の焼け野原となった都市の廃墟が再現されたかのようであった。誰一人といない大地にはあらゆる人工物、建築や道路や鉄道のほか、さまざまな工作物のすべてが消去されたのである。都市という生き物の生命を奪い取ったといってよい脅威である。

一方、日本全体を覆い始めている社会経済環境は、極めて憂慮すべき人口減少の波に洗われつつあり、さらにデフレ経済というスパイラルに長期間落ち込んでいる。人口減少の最大の問題は、生産年齢人口の減少につながることであり、直接的な労働力の減少を意味し、ひいては消費活動の縮小を引き起こすことである。そしてそれ以上に深刻なのは、経済の停滞が引き起こすデフレ現象が進み、都市施設の劣化が進行すること、すなわち、都市活動を支える都市基盤の荒廃である。

公共施設は、経年劣化に対する維持保全が最大の問題となる。日本の場合、1960年代に建設されたものの多くがまさに現在寿命を迎える時期に来ている。それは、経済成長が目に見えて上り坂であった1964年の東京オリンピック前後の時期であり、現在の都市のインフラが整備された時期と思えばよい。その意味では、大都市の高速道路や橋、鉄道、あるいは、ダム、河川や港湾施設、上下水道設備などが、ことごとく老朽化の限界を迎え始めているのである。

過去アメリカでも同様なことが起きていたことが記憶に残っている。1980年代に騒がれた道路や橋の崩壊である。実際に、日本のそれより深刻な事態が起こっていた。道路のどこに穴が開いているかをプロットしたマップが作成されたり、橋の崩落の危険を知らせる危険度マップが売り出されるなど、ことの深刻さは想像をはるかに超えていた。1920~30年代のアメリカの近代化の草創期に建設された都市施設が50~60年後の80年代に直面した事態の教訓を、われわれは忘れるわけにはいかないのである。もちろん、それを日本の現状と連動させる必要はないにしても、日本が深刻な経済的危機にある中で遭遇した大震災と津波による都市崩壊の姿は、最近の大都市の都市インフラの崩壊が顕著になり始めたことと符合して、はからずも、最近亡くなった小松左京のベストセラー小説『日本沈没』のような廃墟化した日本の姿に重なって見える。

今年7月までの国交省所管のインフラに対する自然災害による損害額は2兆円を超え、そのほとんどが東日本大震災によるものであるが、この金額は過去5年間の同時期の平均の17倍にも及び、阪神大震災のあった1995年の同時期に比べても2倍である。一方、現在の国の公共予算額は、ピーク時の2000年に比べるとおよそ半分の5兆円強まで落ち込んでいる。都市生命の維持には、都市のインフラが生命維持装置、いわば大動脈として健全に機能していなくてはならない。この都市活動の大動脈が欠損したり、機能喪失すれば、都市そのものの生命はことごとく絶たれてしまうが、その機能維持には必ず経済的基盤による裏づけが必要になる。しかしながら、このような状態では、災害からの復旧はともかく、既存施設の更新はおろか、維持保全すらままならない状態である。

東日本の都市再興のスタートは動脈に血を流すためのインフラの整備であることは当然である。しかしながら、インフラが国土に対して持つ重みを考えれば、東日本のインフラだけでなく、同時に国土全体の都市インフラの再整備に連動させていく必要がある。これからの都市のあり方をどのように考えていくのか、言うまでもなくそれは、東日本の再生と平行して、日本全土の都市整備のあり方に対しても、必要不可欠な最大公約数的インフラ整備として何が必要なのかを真剣に議論し、経済的な側面も含めて取り組むべき問題である。人口減少と高齢化社会の現実とコンパクトシティへ向けて、地方都市のみならず大都市のありようも含めて議論を進めなくてはならない。

いま問題を抱え始めている都市インフラも、東日本の廃墟となった都市も、過去のそれに準(なぞら)えることではない新たなビジョンと政策の下に早急に立て直さねば、そしてインフラ、都市が確実に連動する仕組みを考えなければ、その先には確実に「日本沈没」が待ち構えていることになる。都市のインフラは、それだけで独立して存在することはないからである。

日刊建設通信新聞
 2011年8月22日掲載