旧小菅刑務所庁舎

表現主義建築の再生・活用

旧小菅刑務所庁舎は、昭和4(1929)年に竣工した刑務所です。34歳で夭折した司法省技師・蒲原重雄が設計し、受刑者たちが自ら施工したとされる建物です。当時、日本の行刑思想は、罪を犯した者を罰する「応報主義」から受刑者の社会復帰を目的とした「教育主義」へと大きく転換しつつありました。本施設は、こうした思想の大転換を建築で表現したものとされ、鋭角を多用し、天高く首を伸ばして翼を広げた鳥を思わせる独特の外観は、日本の表現派建築の最後の代表作として知られています。
今回の保存改修工事では、改修によって安全性や機能性、快適性を向上させて庁舎として再生し、同時に、歴史的建築物としての固有の価値を継承するために修復・復原を行いました。 特に、庁舎として利用することを踏まえ、現行の建築基準法を満たすように改修を行うこととし、保存する箇所については可能な限り竣工当初の意匠の復原を行いつつ、活用する箇所については照明・情報・空調設備はもとよりバリアフリー化により現代的なオフィス環境を整備しました。

性能向上と価値継承の両立―材料主義から空間主義へ―

文化財建造物における保存改修では、創建時材の維持を最優先することが基本となっています。このため、活用に必須の性能・機能改修も強く制約される面があります。
本改修工事では、建築的価値について、調査・考察を深め、行刑思想の大転換を表現・空間化することが設計意図だったとの結論に至りました。そこで、同じように創建時材が遺っている場合でも、設計意図を伝える空間の保存・復原を優先し、他の空間の改変は許容する空間主義とすることで、改修に対応できる余地を拡げました。そして、厳密に保存・復原する部分と改修を許容する部分にメリハリをつけることで、性能向上と価値継承の両立を実現しました。

固有の表現主義建築の再生―ディテールなしディテールの復原―

パラボラ窓を想起する日本の表現主義建築とは異なり、旧小菅刑務所庁舎は、鋭角の面構成が生み出すエッジが建物の全体を強く印象づけ、老朽化が進行しながらも、無二の存在感を発していました。当時の文献や写真から考察すると、そこには、それまでの様式的意匠に連携したディテールは一切なくなり、シャープなエッジを実現するための「ディテールなしのディテール」へと変わり、かつ、後に続くモダニズム建築のディテールとも異なる、設計者・蒲原重雄が求めた建築への熱い思い「表現の美を究極の目的として行刑建築にいそしまねばならぬ。」1)が表現されていたと考えられます。新庁舎建設後も旧庁舎が存続し得たのは、込められた熱量の大きさだったとも言えるのではないでしょうか。
改修に際しては、失われてしまったディテールの復原が大きな課題となりました。損傷はもとより、外装は全て交換されており、竣工記録に記載された左官櫛引や、多くの人が驚きをもって伝えた色彩や外観の印象に影響するサッシの形状についても資料がありませんでした。このため、改修着工後、後施工された材を慎重に撤去しながら痕跡を探し、痕跡をもとに試験施工、実物模型による検討を重ね復原を実現しました。足場が撤去され、凛とした外観が現われた時は、大きく安堵するとともに、復原できたことを確信しました。
改修後には国の重要文化財に指定されました。


1)雑誌『刑政』(1932年(昭和7年)7月)に掲載された「行刑建築(四) 四、行刑建築と表現の問題」

施設概要

所在地
東京都葛飾区
用途
庁舎
構造
RC造
規模
地上3階、塔屋5階
延床面積
149,259m2(敷地面積)、1,705m2(建築面積)、3,308m2(延床面積)
竣工
2023年2月

既存建物

名称
小菅刑務所庁舎
設計
蒲原重雄
竣工年
昭和4(1929)年

フォト & プロジェクト詳細